けんたとあとむが訪れた城ヶ崎海岸には「江川太郎左衛門の砲台」という史跡がありました。
これは、伊豆韮山(にらやま)代官・江川太郎左衛門によって作られたものと言われています。もっとも現地にあったのはレプリカで本物は下田に移されているとの事。

ここで、光久つぶやく...“この程度の砲台でペリー艦隊と交戦するつもりだったの?”
麻里子:“あれ?...みなもと太郎「風雲児たち・幕末偏5巻」読んだでしょ。最新作よ。お台場の話だけれど..

抜粋***********************************
嘉永7年(1854年)1月16日ペリー2度目の来航
江戸灣内に乗り込んだ9隻の黒船.
ペリー提督がそこで見た物は人工島、しかも砲台が築いてあった。しかも半年前にはなかったもの。 ペリー提督叫ぶ! 大砲を撃て ドドーン・ドドドド・ドーン....
交戦か??と思われた時、太郎左衛門は あわてるなあれは空砲だっ
礼砲といってな入港のあいさつだ 返礼にこちらも一斉に撃ってやれ ドオーン・ドドーン・ドーン・ド

太郎左衛門による解説:
礼砲の習慣ができた頃の大砲は火縄銃と同じで一発撃つと火薬を詰め直すのにやたらと時間がかかったのさ
だから港に入る前に一斉射撃をしてしまえば しばらくの間 次の攻撃ができない----
つまり自発的な武装解除の意味があったわけだ
だから礼砲も打たず至近距離に入ってくるような船は宣戦布告とみなされ撃沈されても文句は言えない訳だ

もし礼砲を知らない国だとしたら国際ルールも知らぬ野蛮国とみなされる。野蛮国なら攻撃も占領もおかまいなし。そうすることが正義だと言うのが西洋列強の作ったルール。 さっきの空砲におびえ もしもこちらが実弾を撃っていれば 米国はわが国を攻撃する大義名分を持てたわけだ
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光久:そうだった!! ペリー提督は国際法を心得、半年で人工島(お台場)と砲台を作ってしまった日本の底力を甘く見てはいけないと思ったんだ。太郎左衛門 エライ!

この風雲児たち、内容は一見かなりお茶らけてますがその資料的裏付けは相当なものと見受けられます。もともと幕末史は好きなのですがこの漫画であらためてお勉強させて頂きました。現在ワイド版第1〜20巻、及び幕末編第1〜5巻まで刊行されています。発行はかの有名な「ゴルゴ13」を出しているリイド社、同社のWebで風雲児のさわりが読めますよ。
http://www.leed.co.jp/

麻里子の知る江川太郎左衛門
代官というと今の人達にはテレビ時代劇の影響でしょう、あまり良い イメージがありませんね。悪い商人「越後屋」なんかと結託して不正な 金儲けをし、弱いものいじめをする、そして奥座敷で「越後屋、そちも 悪よのう、ムハハハハ」などとほざいている所を桃太郎侍あたりにやられて しまう、というような図をどうしても連想してしまうのですが、しかしもちろん 実際の代官が皆そんな奴らばかりではなく、その多くは真面目に地域の 行政に取り組んでいたものでしょう。

そんな中でも江川太郎左衛門というのは知れば知るほど実に傑出した人物です。 鎌倉時代から続く古い家柄 江川家の第36代当主という血筋の良さ、得てして こういう方は人柄は良くても手腕は平凡だったりするものですがどうしてどうして。 その支配地が海岸線に面した地域を数多く含んでいたためか、早くから海防問題や 進取の知識を取り入れた彼は、代官として有能であったばかりでなく、外交、教育 などさまざまな分野で活躍し、対外的な危機感が高まったこの時代、特に海防問題 に関して数多くの業績を残しました。今フジテレビのあるお台場、あそこの 台場跡がそもそもこの「お台場」という地名の発祥な訳ですが、この砲台群を幕府の命により敷設したのがこの江川太郎左衛門です。

幕末という激動の時代のせいもあるかもしれませんが、その当時の一地域行政官 としては相当数多く、後世名を成した人々と交友を持ったようです。直接の関係を 挙げただけでも渡辺崋山、高島秋帆(しゅうはん)、佐久間象山(しょうざん、 ぞうざん、とも言う−この人の事を書くとまた長くなるのでまたの機会に、 ちなみに勝海舟の妹順子がこの人の妻になっています)、阿部正弘 桂小五郎、川路聖謨(かわじ としあきら)、ジョン万次郎 などなど。 当時の海防問題に第一線として取り組みながらも領地の行政もしっかり行って 領民の信頼も厚く、また教養人として書画にもたん能で数多くの作品を残したそうです。
そのあまりの活躍が彼の過労を促進したのでしょうか、この台場建築から間もなく の1855年、わずか54歳でこの世を去ってしまいます。まだまだやり残した仕事が たくさんあった惜しまれる死でした。彼を登用した前述の幕府老中阿部正弘(福山藩主) もまた過労のため後に37歳の若さで死去したのと奇妙にも不幸な符合と言えましょう。


関連 Home Page
国土交通省 東京湾口航路事務所の江戸湾海防と品川台場
http://www.pa.ktr.mlit.go.jp/wankou/rekishi/history.html
観光ながおか.com・韮山町のご案内・重要文化財江川家住宅・反射炉
http://www.kameyaean.com/Newsite/nirayamycho.htm
韮山町ホームページ・江川坦庵
http://www.nirayama.kyogikai.mishima.shizuoka.jp/h/h00.htm

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